大人の走りってなんだろう?
40代半ばのオッサンであるkurokiとしては、否が応でも考えなきゃいけないテーマなのです。
目を背けずに、現実を直視してね!
目標とする大人の走り
余裕があって謙虚なふるまい。
kurokiから見て大人のライダーだと思うのは、これが自然にできる方ですね。
例えば、確かなライティングテクニックを持ちながら、あえて抑えた走りをするライダーは、ビシッと安定しています。余裕と風格も感じますね。
また、何かトラブルが発生したときに、テキパキと冷静に対処できるライダーは、さすが!と思わせます。
そんなライダーを目標として、kuroki自身のふるまいを変えていこうと意識していますが…及第点には程遠い。まだまだ先は長いです!
少なくとも、年齢だけ大人になっただけのライダーにはなりたくないと、そう願ってます。
大人になり過ぎたら?
ところで、大人になり過ぎたライダーは、どうなるんでしょう。
ぶっちゃけ自分は何歳まで走れるんでしょう。
人生の折り返し地点とされる40歳を過ぎて、自分の終着点を意識するようになると、そんな考えがふと浮かんでくるのです。
動体視力や体力の衰えは、避けようがありません。免許を返上するX-Dayより先に、まずスポーツ走行をあきらめる時が必ずやってきます。
さて、そのときkurokiは何に乗りかえるのでしょうね。
ハーレーみたいなクルーザー?
BMWみたいなツアラー?
セローみたいなトレール?
それともバイクを降りてオープンカー?
考えたところで…なるようにしかなりません。
2005年にスティーブ・ジョブズ氏が米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチに、こんな一節があります。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。
明日はもうないかもしれない。今日は人生最後の一日かもしれない。
そう意識すると、やがて来るX-Dayに心を奪われることなく、MT-09との時間をシッカリ楽しみたい、そう強く思うのですよ。
余談
「大人のほにゃらら」などとメディアで紹介される類には、まったく興味がありません。財布の紐を緩めようという魂胆が、透けて見えますからね。
いいものは自分で探しだす。
それも大人のたしなみじゃないかな?
コメント